こんにちは。
鹿嶋です。
だいぶ暑くなってきました。
日本の製鉄会社による米同業会社買収が
現実味を帯びる驚きのニュースが
ありましたね。
さて、今日はこんなテーマで進めていきます。
私たちは普段生きていると、
”それをやる意味”なんかをよく考えます。
現代においてこの意味とは価値基準、
或いは損得観念が元になっていることが多く、
加えてそれらは色んな意味を複合的に
組み合わせて意識的に創造されている
ケースが大半です。
幼少期の体験、原家族の思考パターン、
自身がこれまで成し遂げてきたこと、
そこから生まれる自身が大切だと思う価値観
など、全てが連なった上で今の自分が思う
”意味”が存在しているわけです。
反対に、その意味単体で大きな
影響力を持つ場合もあります。
例えばリンゴとか、消防車とかです。
ただ、この場合それ自体の単なる意味と、
先の複合化されて創造される意味、
更には自分以外の人や物が創造する意味
などをあらゆる観点から映し出すような
象徴的な意味の2パターンに分かれます。
前者の場合、しごく単純な思考であり
リンゴまたはリンゴに直接的に関連すること
以外の意味合いは持ちません。
でも後者の場合は異なります。
例えば、ある人が上司を激怒させてしまい、
その怒りはあらゆる部署に飛び火します。
関係する人は皆その怒りが収まることを
祈るばかり。。
そんな時、帰り道で火事を
鎮火する消防車が目の前に現れる。
その消防車が意味するのは
怒りという火であったり、
鎮火してほしいという人の想いだったり、
或いはそんな火の中でも防火服という
周囲の耐える力を表していたり…自分だけでなく
全体から成る意味を象徴しているのです。
もちろん消防車側は、呼ばれて仕事をする
ために来ているわけですが、その上界というか
他者が生み出す意味の象徴に結果的になって
おり、紐づいているのです。
ここで疑問なのは、
ではその上司を激怒させることがなかったら
実際に火事は起きず消防車も来なかったのか?
ということです。
恐らく、火事は起きず来なかったでしょう。
でも、上司を激怒させることは
ほぼほぼ予定調和であったはずです。
何故なら現象は”紐づいて”
起こるのですから。
更には上司を激怒させたその人も、
激怒させる前段階で家庭内でストレスを
抱えている横繋がりの存在がいて、
実はその存在の人が事件に巻き込まれていて…
そんな風に、様々なことが稠密に
繋がって連鎖していたりするのです。
こう見ると意味ができた時点で全体と絡んで
歯車が動き出して止まることなく連鎖する
ような気がしますし、実際そうなのですが、
悪いことは想念や幻想=意味造りレベルに
留めておきたいものです。
それは可能なのでしょうか。
その境はあるのでしょうか。
この世のルールに照らし合わせて
考えてみるとヒントが出てきそうです。
・この人ムカつくから殴りたい…
思うのはセーフ⇔殴ったら何らかの罰則です。
・この高価な時計スッとポッケに入れて
持ち去ってしまいたい…
思うのはセーフ⇔実際にやったら逮捕です。
そんなふうに、実際に行動に移す
=自身の意思の具現化をしていること
がポイントになっています。
となると、実際に自分がしたアクションが
全体を絡めた歯車の中で影響し、どこかで
自分に返ってくることが容易に
想像できそうです。
前回のブログで過去に固執したことの
類似体験、その繰り返しに触れましたが、
それも、実際に自分がどれだけ”言動”として
現したかが大きく影響します。
幻想レベルから現実レベルに
変異してしまうのです。
・耐えること
時にこれが鍵になるようですね。
他者との対峙においても、
どちらの意味がより支配力を持つか、
言い換えればどちらのルールを適用させるか。
それも実際のアクションに行き着くまでの
忍耐による意味創りが大事になってきます。
畑に種を植えるところから始まり、
ちゃんと土に根を張って実がなるまで
じっくり見守り続けるかのような。
あなたはこの世界にどんな意味を創造し、支配力
を持って具現化レベルまで連鎖させますか?
あなたからのご予約、
お待ちしています。