次元ごとに織りなす世界

 

 

こんにちは。

 

 

 

鹿嶋です。

 

 

 

大分暑くなってきましたね。

 

 

 

前回のブログでは、イスラム教の話を
起点に対人関係とそれによって生じる
時間軸、リズムがテーマでした。

 

 

 

イスラム教では神との関係性が
一対一の構造でしたね。

 

 

 

では、続いてキリスト教のように、
神と人間の間に”メシア”たる存在が
大きく関与する場合はどうなるでしょうか?

 

 

 

また、そこから織りなす世界は
どういったところなのでしょうか?

 

 

 

それは、
上司/先輩といった階層世界と、
「信頼に応える」を果たそうと
する
人間社会
です。

 

 

 

 

考えてみればメシアの役割は、
神と人間の仲介役ですね。

 

 

 

メシアなどの代表が率いる宗教の
1つの役割は、「信じる」を教える
ことであると言えます。

 

 

 

同時にそこで得られる恩寵にあずかるために
信頼に応えようと私たち人間が
頑張ってきた歴史があると思います。

 

 

 

カウンセリングの起源もキリストが
目の前の人を神に繋げて救う行為が
元であるという説があります。

 

 

 

まさに三者関係の構図ですね。

 

 

 

「利害」を起点とした現代のビジネスに
当てはめて考えれば、
社長がいて、以下それぞれに上司がいて
そこに仕える自分がいて…

 

 

 

各々に与えられた
「責務」を果たすこと
によって報われる社会構造を成しています。

 

 

 

 

ここ2千年くらいの人間社会は、
姿・形は変えども、各場所で
土地の文化として根を生やし、
それを繰り返してきました。

 

 

 

要点を抽出してみると、
私たち人間関係の中で割と根源的に
発生する精神的な事象としては
誰かを「信頼」するになり、
それを具現化し成し遂げるための
物質的なアクションとして
「責務」を果たすになります。

 

 

 

結果として、
労働(役割)になるのですね。

 

 

 

これが人間が共食いなどして絶滅することなく
生存するために選んだ道でもあります。

 

 

 

それは三者関係、二者関係の両方で
起こっていることで、時に過酷な責務も
ありますが、いずれも
「信じる」ことが根幹にあるようです。

 

 

 

では、一者関係ではどうか。

 

 

 

それは、
もはや信じるでもない、
ただある世界(精神構造)になります。

 

 

 

 

ただある…

 

 

 

「信じる」や、はたまた「敵対」すらも
概念として存在しないわけですから、
そこにあるのは、

内包する
吸収する
包み込む
受け入れる

といったアクションのみになるの
ではないかと考えます。

 

 

 

また、一者関係には
自分と相手という区分が存在しない。。

 

 

 

それを維持したまま、他者が存在する
ことを可能にするならば、
そこから生じる対人関係は
自分=相手になります。

 

 

 

つまり自・他の境界線が
なくなっていくわけです。

 

 

 

 

何だかとても概念的な話に
なってきましたね(笑)

 

 

 

でも、私たちの生きる世界でも
それを感じることがあると思うのです。

 

 

 

普段は、自分は自分、相手は相手。
嬉しいとか楽しい感覚は共有できても
実際に感じる感覚は異なる。

 

 

 

でも、ふと完全に自分が何かの一部に
なっている感覚や、全てと繋がっている
”一体感”のようなものを感じる機会
あるのではないでしょうか。

 

 

 

実は常にそういう多次元を生きているのですが、
私たちは色んなものが集約された物質世界が
主なフィールドであるため、普段は
体感として感じにくいのでしょう。

 

 

 

そしてこの次元では、自他の区別がない、
それでも物質世界にあるわけなので、
自分と他者が連動するといった事象を
感知することができます。

 

 

 

 

言うなれば象徴的な世界です。

 

 

 

例えば、とある国の小さな村の
村長がいたとします。

 

 

 

彼が残念ながら他の村人に謀反され、
討ち死にしてしまいます。

 

 

 

それと時を同じくして、
彼と相対するある国の大統領が暗殺される。

 

 

 

どういう宇宙の法則かは分かりませんが、
この村長と大統領は深い無意識レベルで
”相対”していて同時に同じ意味合いの
出来事が起こったりするのです。

 

 

 

また、時に歴史上の人物の偉業を
考察する人の発言に、
その人物のことを更に別の人物
「〇〇の系統・系譜」
という表現をすることがありますね。
(血統というよりは霊統)

 

 

 

無意識レベルで性質や権威などが
同じことを指したりします。

 

 

 

こんなふうに私たちが普段感知できない
レベルで、自他の境界なく繋がって起こる
事象は数多に存在しています。

 

 

 

 

そう考えると、深いレベルでは
私たち人類は、またそれ以外も含めて
”運命共同体”なのかもしれません。

 

 

 

もしそんな感覚で結ばれたコミュニティが
存在するなら、共同体感覚はとても強いものに
なるでしょうし、そこに発生する
”絆”は揺るがないものになるでしょう。

 

 

 

縄で結んだかのように
頑強で、でもしなやかさを持つ絆。
それでいて時に海のように
柔和に形を変えて異なるものを
包み込んでしまう人たち。

 

 

 

毅然としながら、または普通でありながら
もとの姿を保ち続ける気がします。

 

 

 

このように同じ空間にありながらも、
次元ごとに全く異なる概念で織りなす世界
を私たちは生きながらに
想像したり体感することができます。

 

 

 

そして年を重ねるごとに
各次元における自分の配分が変わり
(精神構造に配置転換が起こり)
全てのことに対して
”収まり”が良くなっていくのです。

 

 

 

とかく収まりが悪い(生き心地が悪い)
と感じる人もずっとそうではないことを
考慮すると、どれも貴重な体験であると
少しは思えるかもしれません。

 

 

 

過去の辛い経験、失敗した体験も後になれば
良い体験へと”意味合い”が変わる永遠性の側面
あれば、どんな体験もその時にしか感じる
ことができないビビットで”生もの”である側面
あるのですから。

 

 

 

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