肩を持つ力

 

 

こんにちは。

 

 

 

鹿嶋です。

 

 

 

だいぶ涼しくなってきましたね。
食欲やスポーツの秋ですね。

 

 

 

食欲の秋なら、今日はサンマでも
買って食べましょうか。

 

 

 

そんなふうに私たちには自然と
同調する作用を心に持ち合わせます。

 

 

 

 

清流が流れるがごとく、非常に
素直な心の反応ですね。

 

 

 

同じように、自分の親しい人から
〇〇を今頑張っているんだと言われたら
励ましの言葉を捧げて応援しようとしたりします。
また、時に背中を押すような具体的なサポートを
するかもしれません。

 

 

 

同調から始まり、ポジションを取って
対象の肩を持つようになります。

 

 

 

「自分も同じように頑張るぞ」
対象に刺激されて自身の躍動感が増す
こともあるかもしれません。

 

 

 

これが普通の流れだとすると、
そうではないパターンも存在します。

 

 

 

そんなことできるはずがないだろう
余計なことをしてほしくない

 

 

 

といった心情でしょうか。

 

 

 

では、何故こういった心情に
”変わってくる”のでしょうか。

 

 

 

それは、どこか自分の心に無理がある
矛盾を抱えているからでしょう。

 

 

 

 

時に人は多少無理してでも、頑張って
自身のレベルアップを図ったり周囲の
ために体を張って頑張ったりします。

 

 

 

それが根源の部分で自分の意思から
の言動であれば問題はないでしょう。

 

 

 

恐らくその無理でさえ、充実感を感じ
「よくやってるな自分」と、無意識にも
自身を称え、次へのエネルギーに
繋げることができます。

 

 

 

反対にそれが自分の意思でない無理で
あった場合はどうでしょう?

 

 

 

例えうまくいったとしても、
虚無感が心に残ることになります。

 

 

 

もちろん仲間もそうだからといった
同調や集団意識の理念や正義等で幾分か
紛らわせることはできるかもしれません。

 

 

 

しかしいつまでもそれをやっていると
どこかで疲弊してきそうな気がします。

 

 

 

やはりいかに自然に湧いてくる意思
(エネルギー)を摘むことなく
循環させられるかが、長い目で見た際に
大事になってきます。

 

 

 

 

ともあれ、人の肩を持つ力は
自身の可能性を大きく広げる
ことへと繋がります。

 

 

 

過去に自分と折りが合わなかった人とも、
「こういう背景があったんだな」であったり、
「この人はこの人なりの精一杯だったんだな」
など、理解を通して寄り添える幅が広がります。

 

 

 

「過去は変えることができる」という言葉の
通りですが、過去の体験が理解によって
その意味合いが変わってくれば、それだけで
自身の心に余裕ができ、自身も満たされる
変化が起こるのです。

 

 

 

何故なら人は寄り添ってもらいたい
生き物だから、
更には相手を理解できる側は理解される
側よりも大きく、ゆえに安定するからです。

 

 

 

 

人によっては自分がやってきたことの内容、
大きさによって自身を肯定する力が爆発的
に上がることもあるでしょう。

 

 

 

理解してもらいたい…

 

 

 

その心情は時に心の渇きや絶望を伴います。

 

 

 

そんな相手の根源的な欲求をそっと真心で理解してあげることができればその人は心に潤いと活力を取り戻すことができます。

 

 

 

更にはまた次の人に同じように寄り添う
力を発揮してくれることでしょう。

 

 

 

本来人は自然と同調する力
もともと兼ね備えているのですから。

 

 

 

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