一体感

 

 

こんにちは。

 

 

 

鹿嶋です。

 

 

 

早くも6月。
いよいよ本格的な梅雨の季節です。

 

 

 

前回のブログでは、他者によって
支えられている自身という世界観…
設計図でいう骨組みの部分、または
ニューロンでいう核にあたる部分
迫りました。

 

 

 

もちろん脳細胞のようにシナプスで他者と
繋がっているという理解ができそうですが、
「繋がる」ことが私たちにとって必ずしも
主な正解ではないような気がします。

 

 

 

普段の私たちは、基本的には人と仲良くし
絆を築き、くっつき、「安心感」を得る。
そんな人間活動をしています。

 

 

 

しかし、時に人はそれを嫌って
そこから飛び出したり、新たなものを
作ったり、闘ったりもします。

 

 

 

 

面倒な人たちとも取れそうですね(笑)

 

 

 

でも、アーティストの表現なんかを見て
分かる通り、人とは結び付かなくても
彼らは何か、より本質的なものを追い求め
それがうまく表現できた時は私たちに
大きな気付きを与えてくれたりします。

 

 

 

敢えて極端な区分けをするなら
「親」「信」を重んじる人⇔を重んじる人
と区分けできそうです。

 

 

 

もちろん後者のほうが孤独を感じやすい
境遇にはあると思うのですが、
そんな肌感はともかく、彼らは
より普遍性の高いものを求めていたり、
普通の人では満足できないくらいの
真理探究心を持っているとも捉えられます。

 

 

 

では、そんな彼らの向かう
方向性は一体どこなのか?

 

 

 

それは、”一体感”ではないでしょうか。

 

 

 

繋がる、くっつくといったものを
超越し、そのもの自体になる(一体となる)、
自身が何らかの筐体になる(依り代になる)
ような感覚に近いのかもしれません。

 

 

 

 

そちらサイドから考えると、基本的に人と
仲良く絆を築き、くっつき、「安心感」を得る
私たちは、いささか不全感を抱える部類
に入るのかもしれません。

 

 

 

安心、安全を担保に支払う対価
とも言うべきでしょうか。

 

 

 

確かに
これいいよね。
あのカッコよさ、その気持ちわかる!
それは最高だね。

 

 

 

と、躍動感レベルで同調はできても
本当に一緒の感覚までは行き着かない
もどかしさもあったりしますね。

 

 

 

とかく繊細な日本人気質であればあるほど
そういった鋭さゆえの気持ちの煮え切らなさ
を抱えてしまいそうです。

 

 

 

リスクを取ってでも
一体感を獲りにいく…

 

 

 

そんな価値があるのか?

 

 

 

もし何も得られなかったら?

 

 

 

と不安にもなりそうなところですが、

犬も歩けば棒に当たる

というのが現実には起こりそうです。

 

 

 

何故なら、「親」「信」を離れ、
視座が高まっていけばいくほど
色んなものがそぎ落とされ、”本質”
しか残らなくなるからです。

 

 

 

 

結果として点在する真理の
1つに行き着くのですね。

 

 

 

繋がりから解き放たれて何かと一体と
なろうとする時、負荷がかかり全ての
細胞が活性化される…

 

 

 

それによってこれまでにはなかった
発想が出てきたり、行動が起き、
新たな”創造”が生まれたりします。

 

 

 

そしてそれは普遍性を帯び、且つ
自由度の高い創造であるため、
多くの人の心に刺さる表現力を持ち得る
のでしょう。

 

 

 

本来は同じ方向性にある
「親」「信」一体感…

 

 

 

でも、ちょっとの差でそこには大きな
違い(結果)が生まれてしまいそうです。

 

 

 

あなたはどちらのほうが
今の自分に適していますか?

 

 

 

あなたからのご予約、
お待ちしています。

 

 

 

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