規範なき世界

 

 

こんにちは。

 

 

 

鹿嶋です。

 

 

 

だんだんと寒くなってきましたね。

 

 

 

着る服選びに迷う時間が
長くなる今日この頃です。

 

 

 

さて、前回はいかなる人も
与えられた枠組みの中で楽しむことで
広がりを見せる世界観を考察しましたが、
もしそういった枠組みがないとしたら
それは一体どんな感覚なのでしょうか。

 

 

 

今日はそんなお話です。

 

 

 

私たちは日々、あれやこれや
思考を凝らし今より更に良くなるように、
快適に過ごせるように今を生きています。

 

 

 

しかし、そのどれもが
私たちが置かれている場所・立場・関係性
などの前提が元になっていることは
否めませんね。

 

 

 

 

言うなれば規範というものです。

 

 

 

例えば、私たちが何気なくスーパーに買い物
に行けるのも、周囲の人は一般的に自分に襲い
かかるような人じゃないという前提がある。

 

 

 

その背景には、この国(地域)では他人に
危害を加えたら警察官に逮捕されてしまい、
社会的な地位を失ってしまう規範(ルール)
が他の人にもちゃんと機能しているという
前提があるからですね。

 

 

 

しかし、その規範(ルール)によって
縛られることで息苦しくなってしまう
こともしばしば…

 

 

 

コロナ禍においても、
自粛警察というワードが生まれ、
険悪なムードを醸しました。

 

 

 

 

どうやら、私たちは
この「規範」という縛りから
完全に解放されることは
なさそうです。

 

 

 

では、私たちを縛るものでもあり
守るものでもあるこの「規範」が
関与しない世界は存在し得るの
でしょうか?

 

 

 

答えとしては、存在し得るです。

 

 

 

ルールがない世界…

 

 

 

それを想うと、秩序なき世界を
思い浮かべがちですが、
秩序なき世界にだってルールは
存在します

 

 

 

 

仮に野蛮な人種、或いは相手を食い合う
ような世界があったとしても、彼ら同士が
紡ぐルールができており、結果として
”無秩序”や”カオス”という名のルールのもと
末端における事象が発生するので
やはり規範は存在しているのです。

 

 

 

日本古来から、人の魂が正常に機能して
いる状態を直毘、歪んだ状態を禍津と呼んだり
しますが、その「禍津」の存在さえも
許容されています

 

 

 

また、よくオカルトの世界でも
”666”なんて数字が使われたり
するそうですが、悪魔の世界にだって
ルールが存在することの象徴でも
ありますね。

 

 

 

もっと言えばそっちの世界の方が
序列などの”掟”は厳しい気がします。

 

 

 

では、趣向を変えて
自然界はどうか?

 

 

 

 

自然界も弱肉強食とは言え、
広い枠組みで言えば、食物連鎖という
極めて秩序立った世界が存在しており、
地球上で生命のバランスを保っています

 

 

 

宇宙でも、惑星における自転や公転、
重力や引力、太陽からの距離など、
絶妙なバランスの賜物であると言え、そこ
には自然界の”規範”がしっかり働いています。

 

 

 

人間が関与しなくたって、むしろ
人間が無理に関与しない世界のほうが
狂いのない精密な秩序が保たれている
ようにすら思えます。

 

 

 

そう考えると、規範なき世界などどこにも
存在しないではないかと思えてきそうですが、
唯一あり得るのは、仮に時間軸で捉えた場合、
何かと何かがぶつかり合う(交差する)
タイミング

 

 

 

その”瞬間”だけはであり、
規範が存在しないのです。

 

 

 

言い方を変えると、方向性の定まっていない
エネルギーだけが滞留している状態です。

 

 

 

 

普段の生活水準モードの私たちからすれば
空気、或いは磁場のようなものですが、
これこそが全ての”可能性”の源泉であり、
その源流を下ってあらゆるものが
生成され(具現化し)ていくのです。

 

 

 

普段私たちが関知しているのはほんの末端、
または極めて物質性の高い部分が多いのですが、
もちろんそれらは全て物質化される以前
のものから段階的に下って(固まって)
いきます。

 

 

 

私たち人間が最も恐れる”死”…
その死という概念ですら、しっかり
固まった段階のものと取れます。

 

 

 

逆に言えば死よりも恐ろしい世界というか、
死にも満たない別の次元の恐怖の世界だって
存在するのです。

 

 

 

反対に全くもって澄んだ
”生”に満ちた世界も同時に
存在します。

 

 

 

 

物質性が薄まって視座が高まるというか、
研ぎ澄ませていく程にあらゆるものが両極に
振れやすくなります。

 

 

 

源泉を辿ることで見えてくる世界。。

 

 

 

そしてその元を辿れば何かと何かが
ぶつかり合った事象に行き着きます。

 

 

 

人生も一緒ですね。

 

 

 

生きていると時に何かと何かがぶつかり合う、
交差するタイミングに遭遇します。

 

 

 

私たちはそこに因縁を感じたり、
ストーリー性をもたらせたりしますが、
新しい規範が作られる
可能性が生まれる
道を選択する

のは確かなようです。

 

 

 

そして時にそこに新たな
希望であったり、
想いを託すような
ポジティブな感情を抱きます。

 

 

 

 

生きるサイクルの中でそんな
ライフイベントに遭遇したあなたは
何かが変化する時期…
または変化を必要とするタイミング
なのかもしれません。

 

 

 

規範が定まってないがゆえの
新鮮且つワクワクするような幻想
たくさん湧いてくるでしょう。

 

 

 

また、平たく言ってしまえば
飽き慣れがまだ
ない時期でもありますね。

 

 

 

大小あれ、私たち人間は
その可能性なるもの、
またはそれに伴う幻想なくしては
生きてはいけないようです。

 

 

 

規範に縛られているがゆえに
新たな幻想とともにそこから
抜け出そうとする戦い/挑戦の日々。

 

 

 

そして、色んな予想はできても
挑戦した結果(蓋を開けてみなければ)
実際に何が起こるのかは誰にも分からない
というのがこの物質界を生きる醍醐味
でもありますね。

 

 

 

そんな物質界を生きるあなたは今、どんな
幻想を抱き実現しようとしていますか?

 

 

 

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お待ちしています。

 

 

 

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