規範なき世界②

 

 

こんにちは。

 

 

 

鹿嶋です。

 

 

 

今年は急な気温の変化に
体が順応しづらい年ですね。

 

 

 

前回は、
規範なき世界何かと何かがぶつかり合う
状態を考察しました。

 

 

 

ある意味、細胞分裂・統合を繰り返して
刷新していく本能、作用でしたね。

 

 

 

今回は同じテーマではありますが、
もし今ある規範がなくなったらどんな
世界になるかを考察していきたいと思います

 

 

 

現代における規範を考えた際にまず思いつく
のは、上限を定める枠組みである点です。

 

 

 

法律であったり就業規則であったり、事細かに
定められていることは勿論皆が平等に心地よく
活動できるような前向きな定めではあるものの、
どこか性悪説というか、トラブルが起こった
際など最悪を想定したものである感も否めません。

 

 

 

 

枠組みの外にはじかれたくなかったら
ここは守りなさいよというメッセージが
聞こえてきそうです。

 

 

 

では、仮にその規則やルール決めがなかった
としたらこの世界はどうなるのでしょうか?

 

戦国時代のような殺戮が起こる

力づくで奪い合う世の中になる

戦争、紛争だらけの世界

 

なのでしょうか?

 

 

 

答えとしては、助け合いながら
うまく循環する世界は存在するです。

 

 

 

そうならないから今のような法律、規則がある
のではないかという反論が出てきそうですが、
果たして私たちはルールがなかったら倫理なき
ことをして食い合う人種なのでしょうか。

 

 

 

参考にしたいのは格闘家です。

 

 

 

昨今、格闘技ブームというのもあり、
よくSNSやニュースなどで格闘技イベントの
内容を目にする機会が増えました。

 

 

 

 

打撃を主とした格闘技の場合、血の気の
多い乱暴なイメージが湧きがちです。

 

 

 

実際大会を盛り上げるための相手への
挑発合戦はかなり過激な言動が散見されます。

 

 

 

ただ、その割にと言っては何ですが試合が
終わった後、非常に潔いというか、相手を
称え合う光景、崇高さみたいな精神/顔つき
もよく目にします。

 

 

 

また、一流選手になるにつれて、ある意味自分を
超えた「客観性」に富んだ発言が多かったり、
相手を認める器量を備えている割合が多いと
感じるのは私だけではないでしょう。

 

 

 

つまり、ここで言いたいのは
ある一定のレベルを超える、または「本物」
になるためには精神部分の成長も不可欠であり、
その成長した者同士においては、少なくとも
一方的に自分の主張ばかりを押し付ける
言動はないということです。

 

 

 

ただ、私たちの住む一般社会はそのレベルの
人たちばかりではなく、様々な人が入り混じった
グラデーションの中です。

 

 

 

チャンピオンになれる人はしのぎを削り
勝ち残ったごく稀な人たちですし、
だからゆえにそういった人たちは自身で
道場を構えたり、自らイベントを主催したり
する権限を獲得します。

 

 

 

ビジネス的に考えれば経営者になる
わけですから、その割合は非常に低くなります。

 

 

 

そして経営者はルールを作る側ですね。

 

 

 

もしそのレベルの人たちだけが紡ぐ
コミュニティ・世界があったとしたら、仮に
規範がなかったとしても、基本的には自発的に
自分が
周囲にとって必要な(助け合う)動きをし
自然と循環する世界ができあがるのです。

 

 

 

 

なんだか「たられば」感の多い
語りになってきました(笑)

 

 

 

ただ、ここで1つ言えるのは勝ち残りと
いうことではなく、精神レベルの成長には
段階があるということです。

 

 

 

心理発達レベルと言っても良いでしょう。

 

 

 

「普通」と言っても人それぞれ違ったレベルの
「普通」があるわけですから、そういった意味で
やはり規範・ルールが必要になってきます。

 

 

 

それがハッキリしてくれば、規範の
意味もより前向きになってきそうです。

 

 

 

すなわち、自分の成長レベルが上がるにつれて
規範によって縛られる意味合いが薄れて
いき、むしろ作る側にもなり得る。

 

 

 

守れなければその枠組みからはじき出されて
しまうという性悪説の強迫めいたものを始め
とし、自分を磨いてどんどんステップアップ
していけるという視点です。

 

 

 

 

社会の最小単位である「家庭」
だってその構造を成しています。

 

 

 

親が絶対であった子供時代を経て、
大人になれば対等を勝ち取るわけですね。

 

 

 

そう考えると、本来は規範・ルールが1人歩き
したり、そこが過剰に抑えを効かして皆が窮屈
になることは起きず、そうなってるとしたら
そこには歪みが生じていると言わざるを得ません。

 

 

 

少しずつのズレが分断や格差を生んで
いたり、他者との情の隔たりが
そこにあるからなのでしょう。

 

 

 

規範がなくてもうまく循環する世界…

 

 

 

それを想像するほうが難しいか、
はたまた規範の中にいても、
本来はいらないよねと内心思い
ながら活動できているのか、
人それぞれ想いが分かれそうです。

 

 

 

或いは規範に縛られていても、
それは自身が何かの循環の中の
一部である、またはそれを果たせている
という感覚・気付きもあります。

 

 

 

また、本当に規範のない世界、ある意味
理想郷のような自然循環の世界も
この世にないことはないのですが、
今の私たちがそれを望むか否か…
それも想いが分かれそうですね。

 

 

 

循環の形を表す「円」。

 

 

 

 

そこに行き着くまでには
尖りも見せたい今日この頃、、
それが人間というものなのかもしれません。

 

 

 

滞りが起きそこに葛藤が生まれ、
それを乗り越える精神活動こそが
自身の躍動感や充足感に繋がるでしょう。

 

 

 

あなたは今、どんな尖りに丸みを
帯びさせよう(円環させよう)としていますか?

 

 

 

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お待ちしています。

 

 

 

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