虚無の先にあるもの

 

 

こんにちは。

 

 

 

鹿嶋です。

 

 

 

2月も後半に入り、日が出ている
時間が伸びてきましたね。

 

 

 

さて、前回は人生という枠組みを
縁に位置する悲しみから考察しました。

 

 

 

小さい頃に親から躾けられたルール
が役目を終えて意味を失うのと
同じように、これまでの人生全体を
1クールとして置いた時の社会勉強が
終了することに起因する悲しみでしょうか。

 

 

 

そして虚無を受け入れることで見えてくる
次の世界、可能性の示唆で終わりましたね。

 

 

 

これまで積み上げてきた自身の
世界観が意味を失い「虚無」と化す…

 

 

 

 

少し極端かもしれませんが、
本当は何もない
自分固有の価値観に過ぎなかった
自分が得た「意味」も今世に生きた短い期間
で得たものに過ぎず、それも本来はない

 

 

 

そんな虚無の先にある
ものは一体何なのでしょう?

 

 

 

答えは、虚無の向こう側には
何もないですね(笑)

 

 

 

ただ、ここで1回思考を凝らして
考えてみると、「無」があるということは
同時に「有」がないといけないことに
気付けます。

 

 

生があるから死がある
光があるから闇がある

のと同じように虚無が存在するという
ことは唯我というべきか、”在る”ことが
構造上セットになっているはずです。

 

 

 

これまで意味を成していたものが
無になることで新たな「有」
姿を見せるのではないでしょうか?

 

 

 

 

しかし同時にそれは
いつか感じたことのある感覚
舞い戻ることに近いのかもしれません。

 

 

 

どういうことか?

 

 

 

成長に伴う人間世代を敢えて3つ
区分けすると、

子供世代
社会人・大人世代
自分を探究する世代

に分けられると思います。

 

 

 

そして実は①と③はどこか親和性が
高いのではないかと感じるのです。

 

 

 

 

子供の頃は誰かの管理下にあるとは
言え、可能性に満ちていて
「自分は何にでもなれる」
と思っていたりするものです。

 

 

 

スーパーマンになりたい
電車の運転手になりたい
お姫様になりたい

 

 

 

など、心躍らせながら無限の可能性
を持って想像力を働かせます。

 

 

 

そして思春期を超え、社会というもの
を知ってく/入っていくと、
相手に譲歩したり、妥協すること
学んだりしますね。

 

 

 

全体のために自分がその中の一部を
担うという姿勢になり、それに自分を
順応させていくのです。

 

 

 

それはある意味限界というもの
を知ることであり、自分が幅を利かせ
られる範囲が有限であることを知ること
でもあります。

 

 

 

 

多くの場合、この②の時期をメインに
人生を送る人が多いことでしょう。

 

 

 

しかし、例えば定年を迎えて③の時期に
入ると、そこから解き放たれて自由に
自分を模索する期間に入ります。

 

 

 

そして②の期間で起こったこと、
感じたことも、それが絶対的なものではない
と遠めから気付く時期でもありますね。

 

 

 

成熟しているのでスーパーマンになりたいとは
思わないかもしれませんが、どこまでも無限の
可能性を探求するという意味では②の時期には
なかった好奇心や探求心が湧いてくる…

 

 

 

ある意味、子供返り
するような感覚…

 

 

 

また、あまり数多くはないかも
しれませんが、①→③へとずっと
無限の可能性を模索し続ける人生の
人もいるような気がします。

 

 

 

虚無の先というのは、
この②のタームを終えること
大方近いような気もするのですが、
純粋さとシンプル且つ広い心理的
世界が姿を見せそうです。

 

 

 

そして、
いつか見た景色
確かに感じた尊い感情
鮮度の高い粋な感覚

成熟さを帯びて再び
自分に舞い戻るのかもしれません。

 

 

 

 

一般に、人が死んだ後生まれ変わりが
あるとしたら前世の記憶は消されて
から生まれ変わると言われますね。

 

 

 

しかし、今世においても
自分が本当に大切だと思うことやその
感性を1度失っていると思うのです。

 

 

 

そう、①→②になる時ですね。

 

 

 

1度堕ちるという言い方が
しっくりくるかもしれません。

 

 

 

ですが冷静になって考えてみると、
何故私たちは一度堕ちなければなら
ないのでしょうか?

 

 

 

ずっと①や③ではいけないのでしょうか?

 

 

 

それに対する答えは持ち合わせていませんが、
敢えて現代を中心にして考えると①や③
だけだと、自分という基準自我
身崩れして不安定になりやすい気がします。

 

 

 

 

物質化・文明化したこの世界に順応
するために必要な通過点…
そしてそこに自分の課題/タスクへの
取組みも掛け合わさっている。
更にそれがエネルギーの供給になっている。

 

 

 

そんな風に型にはめて考える
ことができるのと同時に、
自分がどこかにしまい込んでしまった
”情”対する儚き想いが込み上げてきます。

 

 

 

セカンドチャンスならぬ
サードチャンス…

 

 

 

一度失った大切な”情”なるものを
引っ提げて再度自分の道を切り開く。

 

 

 

虚無の向こう側にはそんな新たな「有」
が待っているのかもしれませんね。

 

 

 

あなたはどんな情感、
いつか見た景色に立ち返る
ことができますか?

 

 

 

またはそれをこの現世界で
どのように体現していきますか?

 

 

 

 

あなたからのご予約、
お待ちしています。

 

 

 

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