こんにちは。
鹿嶋です。
6月中旬で猛暑の日々ですね。
さて、これまで
怒りを抱えそれを原動力とし、
事実を受け入れ悲しみを
戦いながらも自分の存在意義を確
そんな流れを見ていきました。
今日はそんなサイクルが逆に流れる
ケースを見ていきたいと思います。
人とは分かり合えない悲しみ、孤独、無力感。
または誰も頼りにできない絶望感、、
それらを受け入れた先に待つものは、
恐怖です。
通常は1サイクル回る上で、当人ベースでは、
真実を知る恐怖であったり、
自身に内在している恐怖を感じることでしょう。
また、恐怖との対峙は実は自分との戦いで
もあるがゆえ、気付いたら通過していることも
多かったりするもの。
でも、
その恐怖はより顕著な形で現れる場合があります。
例えば脅しなどです。
無理に人を怖がらせようとする際に
1番手っ取り早い手段といえま
先に悲しみを通過してしまった場合、
そもそも造れないため
恐怖を抱く境遇が実世界で組み立てられるの
その次に怒りです。
ただし、仮に上記のあらゆる脅しに
耐え切った場合、
である恐怖を超えてしまってるがゆえに、
その地続きにある怒りはそこまで
大きく膨れないのかもしれ
恐らく怒りは自分よりも格下の相手を
牽制する程度になると想像
つまり、メインでぶち当たる(乗り越えるべき)
感情は怒りではなく恐怖になります。
これでミッション完了です。
文章で説明すると、とてもシンプルですね(笑)
怒りと恐怖は表裏一体であり、
エネルギーをしっかりと消耗する=
ペイすることで次のステージへ移行することが
できるよう
また、
より怒りが出せない場合は道を迂
先に悲しみから通っていく必要がある
のかもしれません。
一般的には、
捉えられますが本当に例外といえるか
は疑問
何故なら真実ベースでは物事は分断(分裂)
動き出す始まりの感情であり、
ではそれを理解しているからです。
どうやらいつの時代からか、
の形ができてからは今の順番がセオリー
となっている
そう、「知る」
れてから一歩ずつ這い上がっていく
しかし、本当は生まれたその時から
「完成形」であり、
造る必要もないようにも感じます。
または基本全ては自分1人で何とかする
超自立型の生き方も可能か
今でもそれに近しい社会も存在しています。
ただ人類の進歩とともに、世界は”全体性”を持ち
合わせて、
に進んでいて、
今の状況であるように感じます。
ただ繰り返しになりますが、私たちが
いるのは「知る」ことを阻まれた生簀の中。
私たちが今後どのような世界に飛び込むか、
いくかは私たち次第のようで
ここまで世界を創ってくださった先人に
感謝するとともに、
方の心情を成就させることが次のステッ
進む鍵となりそうです。
人を変えることはできない、
だからまずは自分が変わろう…
それは確かにそうなのですが、もう一歩深い
次元においては、
(変えるといっても無理にではなく、ある意味
成仏させること)が必要不可欠でもあるのです。
「全体性」の流れができているからこそ、
とても大切になってきます
人間である以上、自分(今)が生まれた
背景には親、先人(過去)があり、そこから
紐づいて道が続いているのですから。
あなたからのご予約、
お待ちしています。
