固執との別れ

 

 

こんにちは。

 

 

 

鹿嶋です。

 

 

 

早くも桜も散り始める頃になりました。

 

 

 

前回は悲しみと怒りのテーマでした。

 

 

 

理解…つまり知ることで
私たちは感情のステージが変化するのですね。

 

 

 

しかし、その「知る」ことを阻まれた生け簀
に放り込まれた中で生きている現実も往々に
してあることでしょう。

 

 

 

 

何故なら「知る」ことがもたらす影響は
計り知れず、稠密に保たれた均衡を破る
ことに繋がるからです。

 

 

 

それゆえ怒りの根源でもある理解の未達
留まらせようと、様々な阻害物/障害物として
自身を取り纏い、「知る」ことへの恐怖心
その人の心に植え付けます。

 

…その事実を知ってしまうと自身が
崩壊してしまうかのような。

 

 

 

しかし、困難を乗り越え、阻害物が阻害物で
なくなった時、自らを縛ってきた蹂躙から
解放される瞬間がやってきます。

 

 

 

雨が止み、後光がさしてくるのです。

 

 

 

その阻害物とされる対象も、阻害物と
しては
役足らずであると自ら遠ざかって
いくことでしょう

 

 

 

そこまで来ればその人がその人で在れる、、

 

 

 

存在意義を内在化させます。

 

 

 

 

但しその境遇は様々で、あくまで本人が
納得できる/存在意義を持てるのであり、その人
の世界の中で阻害物がなくなるよう、実世界に
おいても”整理”されていくのです。

 

 

 

また、この過程はあくまで当人を客観的に見た
際の視点ですが、実は自身が固執していたもの
を手放すという観点も着眼したいところです。

 

 

 

自身の身に起こることは
自身の思考が外在化されたもの。

 

 

 

どこまでも無限の可能性からのスタートです。

 

 

 

遡っていけば、自身を阻害するものを呼び寄せて
いる自身の「固執」に気付くことができます。

 

 

 

平たく言えば「これは許せない」
というものです。

 

 

 

 

その人なりの正義を生むでしょうし、
その人の生きる原動力ともなり得るでしょう。

 

 

 

また時には過酷な環境に置かれる
ケースもあると思います。

 

 

 

しかしどれだけ時を遡ろうとも、到底これは
受け入れられないと流れに逆らった地点
あるわけで、流れに逆らうということはその
流れを自ら「阻害」することに繋がるのです。

 

 

 

良いか悪いかは別として、宇宙の観点からすると
あらゆることも反発してはならないようです。

 

 

 

そして反発した分だけ、またはそれが言動
として現れた分だけその人を縛ってしまう
気がします。

 

 

 

あたかも沼にハマってしまうかのようですが、
それも私たち人間にとって自分の生きる
地点を得たことになるです。

 

 

 

そして人生を歩んでいると、どこかで自身が
固執してしまった地点に立ち返り、類似体験
として対峙するタイミングがやってきます。

 

 

 

 

その時に同じ轍に嵌らず、流れに逆らったり
因に引っ掛からないことが自身の運命を
変えることに繋がります。

 

 

 

端的に言えば、自身が絶対に譲れないと
固執した念を置いて次に進むことが
できるかどうかです。

 

 

 

その固執した因、それを体現した世界/問題は
依然としてあることでしょうし、なくならない
でしょう。

 

 

 

でも、それはそれとして次に進めるか…

 

 

 

これは難しい課題ですね(笑)

 

 

 

引っ掛かってしまえばまた後戻り、
または繰り返しです。

 

 

 

それを考えると、宇宙的な視座で
見れば良いも悪いもない、、

 

 

 

 

別次元(広次元)の観点で物理が絶えず
動いていることに気付けます。

 

 

 

パラレルワールド(他次元)での流れ
または自身が歩める次のステージを察知し、
敢えてその観点/感覚を優先して行動を起こ
せるかが鍵となりそうです。

 

 

 

風の流れをよんで、「知る」ことに繋げる
アノマリーに課されたタスクとして。

 

 

 

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