幸御魂

 

 

こんにちは。

 

 

 

鹿嶋です。

 

 

 

史上初の女性総裁が決まって
幕を開けた10月です。

 

 

 

今日は、幸御魂についてです。

 

 

 

近年では、インスタ映えという
言葉や習慣が流行っています。

 

 

 

 

言うなれば
自分はこれだけハッピーですよ
充実してますよ

 

 

 

という表現です。

 

 

 

その瞬間ハッピーかどうかはさておき、
充実した感情を”共有”することに
幸せのヒントが隠されているような気がします。

 

 

 

感情を共有する
喜び、楽しさを分かち合う心
粋な感覚を一緒に味わう

ごく普通の幸せですが、心が安定している/
ある程度余裕がないとできない
ことでもあります。

 

 

 

 

同時に、そんな根源的な幸せに行き着く
前段階のフェーズも大切な期間です。

 

 

 

1つの捉え方として、聖と邪の世界です。

 

 

 

この世のもの(事象)が1つの纏まり(集合体)
と考えると、纏まり切ろうとするその方向
向かって聖と邪が突き進んでいる様が見て
取れます。

 

 

 

1人の人間も纏っていく存在であると
するならば、それぞれのケースおいて
途上の過程にいる場合もあるでしょうし、
巫女や聖人と呼ばれるような”役職”や”業”
に就く人もいるでしょう。

 

 

 

いわゆる浄化する人々です。

 

 

 

少し稀ではありますが、この聖と邪を
行き交う/取り扱う存在ですね。

 

 

 

 

そういう人たちに”一般”の人が
交わる際は一定の距離が必要になります。
聖と邪の色濃い世界によって、ともすれば
自身のバランスを保てなくなってしまいます。

 

 

 

”聖”のみを前提とした人であれば
安心して繋がれるではないか?

 

 

 

という視点もあるでしょうが、
強い”聖”との対峙も葛藤を引き起こします。

 

 

 

相互のバランスを保とうとする力が働き、
相手の強い”聖”によって自らの”邪”が炙り出さ
れて関係を保てなくなったりするからです。

 

 

 

感情云々よりも、G(重力加速度)がかかる
ことによって方向が2分化されてしまう感覚
でしょうか。

 

 

 

いずれにしても、先のインスタ映え=
幸せの共有に至るには2分化された
世界(土台)のもう一段上に立つ必要が
ありそうですし、またそれは本人の意思や
決断でもあります。

 

 

 

 

聖と邪
優と劣
強と弱

 

 

 

上記のような割と極端な判断軸も、生きて
いる感覚が強く感じられる利点があります。

 

 

 

そこに丸みを帯びさせ、皆で幸をある程度、
または同レベル共有できる幸御魂を持ち合わ
せる世界もまた”人間”らしくて良いではない
でしょうか。

 

 

 

程よく”安心”できる幻想と、
その幻想が紡ぎ出す世界/満たされ感が
次なる希望や流動性を生み出すのですから。

 

 

 

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