生きることを快適にするポジショニング

 

 

こんにちは。

 

 

 

鹿嶋です。

 

 

 

新年が明けましたね。

 

 

 

今日のテーマはポジショニングです。

 

 

 

私たちは基本的には自分の上に
親なる人が存在します。
その親なる存在が”安定”してくれていたら
また、自分を”守って”くれたらどんなに
安心できることでしょうか。

 

 

 

 

しかし完全な親などいませんし、
ケースによっては親がいない、
または親の代替となる人物の存在
など、状況は人によって様々です。

 

 

 

配偶者であっても、その人にも両親が
いるため配偶者を通じて幾分かはその
両親の影響を受けます。

 

 

 

では、親なる対象がないことを前提に
生きていくことは可能なのでしょうか?

 

 

 

その答えは、可能ではありますが
過酷な生き方が求められそうです。

 

 

 

 

両親から生まれてきた原点の人間関係の
構造上、またはこの人間社会の通念上、
自分の上には2人立場が上の人が存在します。

 

 

 

そこを否定、または無いものにすると
自身の存在も薄れてしまう、それに近しい
現象が実際に起こる気がします。

 

 

 

両親という構造が元々ある以上、
それが誰かはさておき、その構造に
則る形を取ったほうが人生を快適に
過ごすことができそうです。

 

 

 

仮に自分が一番頭で、その上に神を置く…
それはそれで構造をキープしているので
ありでしょう。

 

 

 

ただ、実態がない分安定さは欠ける。
ただそれだけです。

 

 

 

では、高齢の方で実質親たる人物が
いない場合はどうでしょうか。

 

 

 

それは、確かに自身の上のポジショニングは
崩れるのですが、長年築いてきた自分の
轍が”代替物”となって自分を支えてくれる
のです。

 

 

 

 

話は横に逸れますが、本来人から相続されるもの
に対しそれに匹敵する”轍”を造ってしまうこと
は実際に可能だったりします。

 

 

 

努力の賜物と取れますし、極論
あらゆるものがあらゆる角度から
創造できるとも言えます。

 

 

 

しかし、可能であるなら
やはり生身の人間を自分の上に立てて
おいた方が(構造を固めておいた方が)
自身の安定感を高めることは間違い
ありません。

 

 

 

場合によってはその対象がより安定感ある
人物に代わったり、複数人からの総合で
1人カウントといったイレギュラー対応の
場合もあるでしょう。

 

 

 

いずれにしても、自分を保持する上で、
またはより快適に人生を過ごす上で、
自分の上に誰かがいてくれることは
とても心強く、精神的安定をもたらします。

 

 

 

そこには反発のない、自然の理に則った
絆の授受作用の働きが生まれるのですから。

 

 

 

あなたからのご予約、
お待ちしています。