こんにちは。
鹿嶋です。
今年も残すところあと僅か。
前回は、「個」における規範の役割や
そこから浮かび上がる自身の課題、または
相対する相手との相互関係についての
考察をしました。
ただ、規範(1度できた型)を変える
のはそう容易くはありません。
今日は規範が変わる際のメカニズムを
見ていきたいと思います。
規範が変わる際に起こっていることは何か?
シンプルな答えとしては、
AとBがぶつかり合って
新しいものが生まれる。
そこに至るまでには十分な反復運動が
必要で、限界点を突破するためのエネルギーを
蓄積し、満ちたときにそれが起こるのですね。
理論上はそうなのですが、
その時私たちに心理的に起こる感覚
は何なのでしょう?
基本的に言われていることは
「絶望/崩壊」を通過することですね。
感情の機序として、
・このままではダメだ
と突き進み、どこかでこれまでの
型が崩れ、自分の殻が破られるわけです。
生き様のぶつかり合いが
分かりやすい1つの例かもしれませんし、
そこには勝負論がありそうです。
・これまで自分がやってきたことが報われたい…
・自分がやってきたことは間違っていないんだ…
それはとても自然な感情であり、
そのために様々な挑戦がありますね。
そして挑戦や勝負には
成功/失敗、勝ち/負けといった
「結果」が伴います。
もちろん勝った者には
戦利品なるもの、栄光、名声、地位など
色んなものが与えられます。
ただ、負けて悔しい想いをした人は
そこから這い上がろうとする
エネルギーが湧いてきたり、
紆余曲折しながらも更なる挑戦をして
いくストーリーがあったりします。
むしろ敗者のほうが自分の「負け」を
受け入れる器量を持ち得るため、心理的に
見ればそちらのほうが得るものは大きい
と言えます。
そう、崩壊や絶望=自己受容
なのですね。
時間軸で捉えれば、
崩壊/絶望があってそこから
立ち上がる自己受容。
と順番がある。
悲しみなど、悲壮感を通過した後に
それまでの自分全体をさらに広い外堀
から受け入れるという流れなのでしょう。
しかし、ここで浮かんでくるのは
勝ったほうに受容はないのか?
といった疑問です。
以前耳にした話で頂点を極めた者が
「てっぺんの境地はこんなものだったのか」
と人生に絶望したなんて話を聞いた
ことがあります。
そんな人は例え成功したとしても、
絶望/崩壊が起こるのかもしれません。
またそれは、「こんな光景ではないはず…」
といったある種の幻想を失う
悲壮感・喪失感なのかもしれません。
はたまた、敢えて相手の土俵で真正面から勝負
する勇猛な戦い方をする人は、相手をそのまま
全て飲み込む勝ち方をしているがゆえに
相手と自分の勝ち・負け両方を丸ごと
受容しているケースもあり得るかもしれません。
となると、規範が変わる条件としては、
成功/失敗、勝ち/負けの事実というよりは
少なくとも、絶望や崩壊に相当するほどの
”葛藤の消化(通過)”があれば良いということになります。
ただ、この”物質界”における規範が
変わるということは自分だけが変わる
ことはないでしょう。
前回のブログであった通り、
今ある対人関係における役割・課題を起点とした
相互関係があり、それぞれが交差し合っている
わけですから自分の規範/型が変わるということ
は少なくとも主要な対人関係を結んでる相手に
とっても変化が起こるのは必然と言えますね。
・しっくりくる主従の関係が結べる
・自分と相手の力関係が逆転する
・対等を勝ち得るようになる
など、自分から見た相手側
にも変化が訪れます。
「相手を変えることはできない」という
言葉を耳にしますが、確かに相手を無理に
変えたようとしたところで本質部分において
は何も変化していません。
むしろ、問題がより複雑化して後に
なって表出することがほとんどでしょう。
しかし、ちゃんと反復運動を経て
十分なエネルギーが満ちた変化であれば
相手のほうにも呼応するように変化が
起こります。
もしかすると、相手のほうも同じく
課題を1つ乗り越えるような変化、、
脳の中の対人マッピングの教室(箱)
全体が刷新されるタイミングかも
しれません。
或いは、相手側では単なる教室内の席替えが
起こっただけで、あなたのポジションの人が
別の対象にすり替わっただけかもしれません。
または、相手側の
教室(箱)、ポジション(配置)は
そのままでエネルギーの放出量が他の
ポジション(の人)優位になる総エネルギー
の配分の変化に留まることも考えられます。
場合によっては、あなたの目の前に
新たなポジションの人物が現れる可能性
だってあり得ますね。
様々なケースがあると思いますが、
いずれにしても今までの対人モデルに
終止符を打ち、新しい箱に鞍替えする
のですから、悲しさ/悲壮感に駆られる
わけです。
そこにうまくいく/いかない
は関係ないのです。
成功しても失敗しても悲しさがある…
そう考えると、人生平等にできている
なんて言葉も少しはしっくりくる
のかもしれません。
思えば、正当な理由で会社のルール1つ変える
のにどれだけの尽力が必要でしょうか?
また、交通ルール1つ変えるために
どれだけの犠牲が必要なのでしょうか?
1つの成功を勝ち取るために
途方もない努力や何らかの犠牲を伴う
ことを考慮すると、手放しで喜べる
ことは世の中少なそうです。
だからこそ、時間という区切りであったり、
包括する枠組みの広がりが機能することで
私たちは次に進むことができるのです。
悲しみ/悲壮感の後に受容があり、
新しい枠組みとしての規範が
機能し始める。。
多くの場合崩壊であり、「谷」を
思い浮かべますが、場合によっては
断崖絶壁の「山」を乗り越えるような
悲壮感の通過の仕方もあり、人それぞれ
千差万別です。
あなたはどんな悲壮感を抱き、
”受容”という切符を手にしますか?
あなたからのご予約、
お待ちしています。