こんにちは。
鹿嶋です。
今年は急な気温の変化に
体が順応しづらい年ですね。
前回は、
規範なき世界=
状態を考察しました。
ある意味、細胞分裂・統合を繰り返して
刷新していく本能、
今回は同じテーマではありますが、
もし今ある規範がなくなったらどんな
世界になるかを考察していきたいと思います
現代における規範を考えた際にまず思いつく
のは、上限を定める枠組みである点です。
法律であったり就業規則であったり、
定められていることは勿論皆が平等に心地よく
活動できる
どこか「性悪説」というか、
際など最悪を想定したものである感も否めませ
「枠組みの外にはじかれたくなかったら
聞こえてきそうです。
では、
としたらこの世界はどうなる
・戦国時代のような殺戮が起こる
・力づくで奪い合う世の中になる
・戦争、紛争だらけの世界
なのでしょうか?
答えとしては、
うまく循環する世界は存在するです。
そうならないから今のような法律、
のではないかという反論が出てきそうですが、
ことをして食い合う
参考にしたいのは格闘家です。
昨今、格闘技ブームというのもあり、
よくSNSやニュースなどで格闘技イベントの
内容を目にする機会
打撃を主とした格闘技の場合、
多い乱暴なイメージが湧きがちです。
実際大会を盛り上げるための相手への
挑発合戦はかなり過激な言動
ただ、その割にと言っては何ですが試合が
終わった後、
称え合う光景、崇高さみたいな精神/
もよく目にします。
また、一流選手になるにつれて、ある意味自分を
超えた「客観性」に富んだ発言が多かったり、
感じるのは私だけでは
つまり、ここで言いたいのは
ある一定のレベルを超える、または「本物」
一方的に自分の主張ばかりを押し付ける
言動はないとい
ただ、
人たちばかりではなく、様々な人が入り混じった
グラデーションの中です。
チャンピオンになれる人はしのぎを削り
勝ち残ったごく稀な人たち
だからゆえにそういった人たちは自身で
道場を構えたり、
する「権限」
ビジネス的に考えれば「経営者」になる
わけですから、
そして経営者はルールを作る側ですね。
もしそのレベルの人たちだけが紡ぐ
コミュニティ・世界があったとしたら、仮に
規範がなかったとしても、基本的には自発的に
自分が周囲にとって必要な(助け合う)動きをし
なんだか「たられば」感の多い
語りになってきました(笑)
ただ、ここで1つ言えるのは勝ち残りと
いうことではなく、
段階があるということです。
心理発達レベルと言っても良いでしょう。
「普通」と言っても人それぞれ違ったレベルの
「普通」
やはり規範・
それがハッキリしてくれば、規範の
意味もより前向きになってきそうです。
すなわち、
規範によって縛られる意味合いが薄れて
守れなければその枠組みからはじき出されて
しまうという性悪説の
とし、
していけるという視点です。
社会の最小単位である「家庭」
だってその構造を成しています。
親が絶対であった子供時代を経て、
大人になれば「対等」
そう考えると、本来は規範・ルールが1人歩き
したり、
になることは起きず、
そこには歪みが生じていると言わざるを得ま
少しずつのズレが分断や格差を生んで
いたり、他者との情の隔たりが
そこにあるからなのでしょう。
規範がなくてもうまく循環する世界…
それを想像するほうが難しいか、
はたまた規範の中にいても、
「本来はいらないよね」
ながら活動できているのか、
人それぞれ想いが分かれそうです。
或いは規範に縛られていても、
それは自身が何かの循環の中の
一部である、
という感覚・気付きもあります。
また、本当に規範のない世界、
理想郷のような自然循環の世界も
この世にないことはない
今の私たちがそれを望むか否か…
それも想いが分かれそ
循環の形を表す「円」。
そこに行き着くまでには
尖りも見せたい今日この頃、、
滞りが起きそこに葛藤が生まれ、
自身の躍動感や充足感に繋がるの
あなたは今、どんな尖りに丸みを
帯びさせよう(円環させよう)
あなたからのご予約、
お待ちしています。