こんにちは。
鹿嶋です。
今年の寒波は身に応えますね。
さて、今日のテーマは”過分”な欲望です。
私たちは
・これがしたい
・あれが食べたい
・あそこに行きたい
など、色んな欲求を持ち、それを叶えることで
幸福感を感じることができます。
その大抵は周りの他者から見ても、
それに背中を押したくなるような、
「同調」の心情を抱きます。
しかし、中には過分な欲求を
持ってしまう人がいる…
今日はそんなお話です。
過分な欲望と聞くと、
・欲張りはいけないのか?
・大きな欲望だっていいじゃないか?
といった声も思い浮かんできそうです。
しかし、ここで重要なのは、
”周囲に受け入れてもらえない”ことです。
実は今日は意外と難しいテーマなのですが、
私たち人間は「共存」して生きているため、
周囲と異なる種類の欲求を持っていることは
不公平を生み出す、またはそこから派生して
何らかの事件を引き起こす警戒すべきリスク因子
になり得るのです。
社会性を持った欲求は時に人から
奪ったり、人に何かを強いたりも
できるわけですから当然といえば当然です。
また、難しいのは本人にしてみたら
”普通”の欲求であるということ…
魚がどのタイプの水の中にいるか悟れないように
自分の欲求が「普通」の許容範囲の中にあるかを
判断することは難しいのです。
もちろん限られた閉鎖的な社会空間内
だけその欲求をぶちまけるようなパターン
も往々にしてありますが。
では、そんな彼らが過分な欲望を
持つのは何故なのでしょうか?
それは心が乾いているからです。
先ほど、周囲と異なる種の欲求を持つと
”周りから受け入れてもらえない”と記しましたが
逆説的ではありますが、周囲から受け入れて
もらえない心の渇きが「過分な欲望」を生み出し
ているのです。
そして無意識下では、その欲望は相対的に
”過分”であると理解しているため、自分の
存在に「卑しさ」さえ感じているのです。
そう考えると負のループですね。
客観的にその構造が理解できると
そのループから抜け出してほしいと
願うものです。
では、その負のループから抜け出し
過分な欲望から解き放たれるには
どうすれば良いのか?
それは、
存分に納得するまで本人に任せるです。
考えてみれば、世界は
(特に一般社会は)皆、装飾物です。
どこまで自分がどう生きたいか、、
人の話を聞き入れるかも含め最終的には
自分の判断、責任の範疇になるのです。
そして人間は諦めきれない生き物です(笑)
それで良いではないですか。
最終的には何らかの「結果」が出ることに
なりますが、大小なりそれを繰り返す中で
学び、生き方に修正をかけていくのが
私たち人間のようです。
時に強めのスパイスで刺激を受けながら。
あなたからのご予約、
お待ちしています。