異例の一貫性

 

 

こんにちは。

 

 

 

鹿嶋です。

 

 

 

いよいよ暖かくなってきました。

 

 

 

経済面でも17年ぶりの
利上げが起きましたね。

 

 

 

前回の「諦め」のテーマでは、”普通”とは
ちょっとかけ離れた家族のもと育った人
が例として挙げられました。

 

 

 

私たちは生まれてくる家族は選べませんが、
少なくとも正常知能で生まれてきた人は
その親や家族の性質を継承する…

 

 

 

それが歪な場合は生きる上で背負う
苦労はどうしても多くはなりますが、
言うなれば継承する側に”一貫性”がある
ために良いものも悪いものも吸収して
成熟していくのは確かなようです。

 

 

 

今日は、そんな一貫性がテーマです。

 

 

 

 

ごく普通の家庭といっては何ですが、
周囲にある程度順応できたものを親が
持ち合わせていた場合、子はそれを
吸収して周囲に馴染むのが比較的
易しくできます。

 

 

 

しかし、そうでない場合はどうでしょう?

 

 

 

一旦吸収したは良いが、後から生きづらさを
感じて修正を迫られることになりそうです。

 

 

 

苦悩があってもそこに安住できていた世界
からリスクを取って外に飛び出す。。
これまでの一貫性を再構築する
ことが必要になります。

 

 

 

まぁ大変な作業でしょう。

 

 

 

かなりの労力が必要なのは
容易に想像できます。

 

 

 

1つのパターンは知的障害の
親を持つ場合ですね。

 

 

 

知的障害の親なる人は脳の機能の問題で
思考がまとまりきらない、ある種混沌
または無秩序な状態に留まっています。

 

 

 

それを具現化した言動レベルでは、
部屋が片付かない、会話が成り立たない、
冗談が通じないなど、一般レベルの感覚
からする”不都合”が生じます。

 

 

 

 

しかし、それを吸収する側が一貫性を
持っている場合、その混沌、無秩序を
一貫性として1度、またはある程度
吸収せざるを得ないのです。

 

 

 

これこそ生まれてきた者の宿命ですね。

 

 

 

そんな中で一般レベルとも合わせていかなく
てはならないため、ある時期から生活そのもの
がマルチタスクになっていきます。

 

 

 

吸収する側からすれば、
そんな歪な母から受ける扱い(陰の部分)と、
そんな母に対する対処(陽の部分)と、
母の性質をそのまま受け継ぐ(中庸の部分)と、
分かりやすく考えるとその3つが自分の中に
内在化します。

 

 

 

そんな歪な一貫性が元で内在化した自分に
対して周囲がどう接してくるか…
それはその人にとってとても重要な問題です。

 

 

 

そのことで頭が恐怖でいっぱいに
なることもありそうですね。

 

 

 

マルチタスクな生活に周囲の
目も気にしながら生きる日々。

 

 

 

何重にも思考を凝らす必要があり、
「普通」の人よりもずっと遠目の視座を
持たねばならないことでしょう。

 

 

 

 

そんな苦悩から抜け出すべく
どこかで本格的な葛藤が起こり、混沌、
無秩序な世界と決別するわけですね。

 

 

 

しかし、時にそんな無秩序の中に
一定のリズムを持ってしまうケース
あるような気がします。

 

 

 

例には出すのは気が乗らないのですが、
パブロフの条件反射が1つの例に
該当しそうです。

 

 

 

心身ともに痛みには皆敏感なものです。

 

 

 

普通の人であっても、知的な障害を
抱える人であってもそれは変わりません。

 

 

 

あまりに大きい苦痛を味わい、
体がそれを覚え、反射的に反応すれば
そこには一定のリズムが生まれることも
あります。

 

 

 

または人は緊急時(ピンチ)の精神状態では、
そのことで頭がいっぱいになって体が強張り
集中します。そんな時、知能の低さや無秩序を
ギリギリ超えることがあるのかもしれません。

 

 

 

もし子が親からそのリズムを継承した場合、子が
抱える問題はより複雑化するかもしれません。

 

 

 

それによって無秩序や混沌さえも
一定の秩序を持っているかのように映る、
実に本物と見分けのつかない模造品の
ような世界をその人に内在化させてしまう
気がします。

 

 

 

もちろん無秩序は無秩序なのですが、
その辺縁を纏うリズムは本物であるため、
なかなかその「無秩序」にたどり着くの
が難しくなると想像できます。

 

 

 

そしてその本物のリズムを伝手に
秩序ある世界に馴染もうと内在化した無秩序に
抗う中での世とこの世の境を生む裂け目」
中に自分を置く因が生じるケースがあるのです。

 

 

 

まさに異例の一貫性と言えるでしょう。

 

 

 

そういった偶然が生む、
それが繰り返されることで生じるリズムは
この世(物質界)の一貫性にカウントすること
はできないのですが、色んなものが集まって
一貫性´(ダッシュ)のような形でその人に
埋め込まれた場合、うっすらその人の中で
部分的に一貫性として機能してしまう可能性は
否定できないでしょう。

 

 

 

 

場合によっては、その一貫性´(ダッシュ)を
もとに最後(混沌、無秩序から抜け出す)まで
突き抜けてしまうかもしれません。

 

 

 

ともあれ、人間は何かの基準
ないと生きてはいけません。

 

 

 

不運にも不遇な環境に生まれ落ちた場合、
是が非でもどこかに一貫性を見出して
しがみつこうとするでしょう。

 

 

 

生きたい…
それは人間の持つ最も根源的な欲求です。

 

 

 

生きるために掴んだ一貫性が
”快”なものであればそれに勝る
幸せはないと思います。

 

 

 

でも、それがどんなものであれ、
刷新していこうとする力がより
自分を生きやすくするように
”修正”をかけてくれる。

 

 

 

時に私たちはその自然の力に
委ねるしかないのかもしれません。

 

 

 

この世の”一貫性”の法則にいざなわれて
私たちが今ここにいる事実があるのですから。

 

 

 

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