大奥の先へ

 

 

こんにちは。

 

 

 

鹿嶋です。

 

 

 

今年も残すところあと2日。
年の瀬ですね。

 

 

 

私たちは感情や思考などの顕象化を確認する
この地球上において、人生の最終章のステージ
においては物事の良し悪しはさておき
身に起こる、または認識できる現象に
想いを馳せることのみが生きる意味になって
きそうです。

 

 

 

全ては何かを味わうスパイスでしかない
といったところでしょうか。

 

 

 

ともあれ、そこに行き着くまでは
成長と葛藤の日々ですね。

 

 

 

 

前回のブログで触れた大いなる
権威を獲得する険しい道のり…

 

 

 

その先に抜けるべく、今回は例外的に
もう1度女性性に触れたいと思います。

 

 

 

今回触れる女性性の特徴は生々しさです。

 

 

 

その意味の捉え方は様々ですが、生々しさは
常に万象を感受できる範囲の奥方に座しており、
ある意味物質的であり、
男性は構造上、到底女性に及びません。

 

 

 

そして戦いの主戦場が男性世界に見えても、
実はそれは女性性獲得のフィールド
であるケースがあるのかもしれません。

 

 

 

言い換えれば、築くべく/通ずるべくは男性性
ではなく、その背後に隠れた女性性なのかも
しれません。

 

 

 

どういうことか?

 

 

 

成熟した人間社会は安定しているとは
限らず、穢れも存在する中で
”研ぎ澄まされた”視座の高い空間
だったりします。

 

 

 

装飾物がなく、無駄がそぎ落ちており、
「無」を起点とした有るものが浮き彫りとなる
または、鏡のルールがただ
存在するような世界なのでしょう。

 

 

 

一見殺風景に思えますが、全てが生々しく
中は意外とドロドロしているものです(笑)

 

 

 

 

そしてその小さな国家は大抵男性主体で
運営され、政治社会が存在し色んな
力がせめぎ合う形になるわけですが、
手強そうに見える男性は意外と
弱かったりするのです。

 

 

 

数が多くても大したことはない。

 

 

 

あわよくばの権謀術数に気付かれると
すぐに身を引いて大人しくなる。

 

 

 

しかし、女性は簡単にはひるまない強さ
を持ち合わせています。

 

 

 

そして成熟した女性との対峙にて
真に対等に渡り歩くことができれば、または時に
上回って自身を認めさせることができれば、
自身に権威ある女性性を帯びさせること
できるのかもしれません。

 

 

 

蔵であったり、受容体の獲得ですね。

 

 

 

それによって、善と悪/正道・外道が
ハッキリ認識できる世界に到達します。

 

 

 

悪、外道と記しましたが、
例え「外道」に値する人であっても
その人の道/課題であると
収納する力を得るのです。

 

 

 

対人における型が立体化する瞬間ですね。

 

 

 

この収納する力、立体感覚がないうちは
常に対象と正面切って対峙しなくては
ならず、”葛藤”が必然的に大きくなります。

 

 

 

それゆえ相手と異なる考え、言動は
少なからず脅威の対象になり得ます。

 

 

 

しかし、収納する能力を得ると
人や事象をその分類ポケットに”括って”
しまっておくことができるのです。

 

 

 

 

結果として精神が安定するのですね。

 

 

 

だから、相手と違っていても
相手を認めることができる。

 

 

 

そして相手も収納ポケットを持った人物である
前提で認識し、一応 ”善” や”良識”という括り
範囲内である程度人と付き合う形を取ります。

 

 

 

または、付き合う相手を選択する
形が取れるとも言えるでしょう。

 

 

 

成熟した女性性を獲得する/帯びさせる
ことで自己世界が確立する…

 

 

 

もしかするとあまりないケースかもしれませんが
女性性を帯びさせることができる下地を元々
持ち合わせていた場合、そんなことも起こり得る
のかもしれません。

 

 

 

自然の予定調和の理に従って。

 

 

 

あなたからのご予約、
お待ちしています。