知らしめるということ

 

 

こんにちは。

 

 

 

鹿嶋です。

 

 

 

日々生活していると
様々なことに気付かされるという
体験を私たちはたくさんしています。

 

 

 

それは人から言われて気付くことも
あるでしょうし、社会の中に揉まれる中で
仕組みに気付くこともありますね。

 

 

 

でも、適切なタイミングでちょうど
自分に合った気付きがあるのは何故か
考えたことはありますか?

 

 

 

 

今日はそんな話をしていきたいと思います。

 

 

 

私たちには無意識というものがあって
何となく自分に合うものを選択しています。

 

 

 

服選びなんかが良い例ですね。

 

 

 

小さい頃は小さい子用の服が置いて
ある場所しかほとんど目につきません。

 

 

 

大人になると、逆に大人の洋服売り場に
自然と目が行きます。
自分の子供を持たない限り子供服に目が
いくことはほぼないでしょう。

 

 

 

 

それは自然と自分の関心のある方向に
向いていくごく普通のことです。

 

 

 

でも、出来事として相手のほうから
関心事が近づいてくることもあなたにも
経験があると思うのです。

 

 

 

例えば、おじいさんが道端に咲いてる花の
写真を撮ろうとしているのを見てハッと
母の日のこと忘れてた!
と気付かされたり。

 

 

 

仕事で一生懸命目の前のことに
夢中になり過ぎて、別のタスクのことを
忘れてた矢先にそのタスク関係者から
あれどうなってる?と連絡が入ったり。

 

 

 

偶然と言えばそれまでなのですが、
どうもこの世界はうまく物事が
促されるように秩序立ってできている
ように感じるのです。

 

 

 

何故こんなことが起こるのでしょうか?

 

 

 

それは
物ごとが集約される働き
によってです。

 

 

 

 

物理の世界では、物事が集約される
現象によく出逢うそうです。

 

 

 

雪や氷の結晶なんかがその良い例ですね。

 

 

 

誰かが手を加えたわけでもなく
「自然」と中心に沿って集まっていくような
綺麗な形を成しています。

 

 

 

それと同じように私たち人間の世界でも、
1つの中心に皆が集まっていくような
組織があったりします。

 

 

 

会社、サークル、支援団体など
”理念””目的”を同じくする組織がそうで、
国や公共機関を含めれば私たちは必ずどこかの組織に所属しています。

 

 

 

学校や高齢者施設だってそう
言えるかもしれません。
(利用する側、運営する側に限らずです)

 

 

 

こんなふうに1人という「個」を超えて3者以上の集まりを成し「集合体」として機能を果たす
ことで、私たちははるかに大きな業を成す
ことができます。

 

 

 

 

大きさ/スケールというよりは「個」とは
異なる立体的な物事の”考え方”の違い
であるような気がしますね。

 

 

 

その秩序立った集合体の中にいることで
自然にも、無意識にも、ある方向に
導くような力が作用すると考えられます。

 

 

 

その中身までは詳しく説明できませんが、
一説によると、私たちのいるこの”空間”に
何らかの伝達物質や知的な作用をもたらす
物質や生命体の存在
(それこそ微細な精神物質含む)
がささやかれています。

 

 

 

そういったもの全てがそれぞれの階層を
持って秩序を成し、中心に沿って目的を
果たすようにできているわけですから、
必要なタイミングで気付きが得られ、全体における自分の目的を果たすよう促されるのは納得がいくかもしれません。

 

 

 

そしてもう1つ特筆すべきは、
現象面として起こる
知らされるという点です。

 

 

 

時に私たちは、
あなたはこうなんだから
とか、
お前のここがいけないんだよ

といった相手に知らしめるような
言動を取ります。

 

 

 

 

また、階級がハッキリ分かるような
システム・仕組みも多く、
黒帯
役職
前科
資格の有無

などのその人を評価する可視化された
ものも多く存在します。

 

 

 

これらは私たち人間、またはそれ以外を
含む”知性”といったものの作用である
と私は考えます。

 

 

 

ですので、じっとしていても
何をしていても私たちは
「何かに気付かされる」という現象に
遭い続けるわけですね。

 

 

 

時にそれは脅迫的に感じることが
あるかもしれません。

 

 

 

または、作為的な報道や利害を目的とした
意図的な価値観の刷り込みの混じった情報
数多くあるかもしれません。

 

 

 

でもそれらは全て
それぞれの居場所で
”知性”による主張をしていると捉えると
より心落ち着いていられそうですね。

 

 

 

 

どんなに”悪”と感じても、
どんなに”許せない”と感じても
その人/集団も所属している空間で
役割を果たそうとするのです。

 

 

 

それは必然で避けられないものでしょう。

 

 

 

でもその現象のはるか向こう側には
集合体の働きとしてまた違った意味が
見えてくるかもしれません。

 

 

 

1つの真実の中に正解と不正解が
入り混じっているかのよう

 

 

 

または、見る角度によって
「捉え方」が変わる正解が存在しない
世界なのかもしれません。

 

 

 

あなたの目/心には何がどう
映っているでしょうか?

 

 

 

またはその答えに立体感が
増しているでしょうか?

 

 

 

”知性”を伴った無意識の集合体
今日もあなたに何かを知らしめてくれます。

 

 

 

今のあなたに最適な気付きを

 

 

 

あなたからのご予約、
お待ちしています。

 

 

 

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